シーン318:「もらいもの。」

お当番 : しんご


昔から劣等感を抱きやすい傾向にありました。
何に対してなのかは漠然としながらも、劣等感そのものははっきりとありました。
そんなですから、当然効果的な対処方法など見つけられずにいました。
やがて多少成長したのか、自分に自信が持てないことが大きな要因なのだと感じるようになりました。
すると、無意識に他者と同じ土俵に立つことを避けるようになりました。
そうすることで、比較されず、劣等感を抱かなくて済むように感じていたのでしょう。
あるいは、違う土俵を探ることで、自分の居場所を見つけ出そうとしていたのでしょう。
気付くと様々な場面で、主流よりも傍流を求めるようになっていました。

20代前半に訪れたいくつかの大きな出会いを通して、自分に自信が持てないのは、 他の誰でもない自分が自分を否定しているからなのだと、他者ではなく自分こそが劣等感の起因になっているのだと感じるようになりました。
劣等感を抱かなくなった訳ではありませんでしたが、抱いていることも含め、それが“今の自分”なのだと受け止められるようなりました。
これはとても大きな変化でした。
“ありのままの自分を受け止める”ということを教えられたのです。
それからはどんな土俵であれ、いたずらに自信の有無と居場所の有無を直結させず、自分が立てる場所、立つべき場所を探るようになりました。
気付くと様々な場面で、主流・傍流に関係なく、「良いものは良い」と思うようになっていました。 (「主流だから良い」と思えない性質は変わりませんが…。)

40年以上付き合ってくると、否が応でも人となりが解ってくるようです。
さらに歳を重ねていけば、どんな土俵に立っていたとしても、そこで受け止めた自分を、素直に受け容れることが出来るようになるのでしょうか。 いや、それが出来るような歳の重ね方をしていきたいと思います。


とは言え、です。
自己表現の場となると、今だに主流の土俵で勝負する自信は持てず、あるいは主流であることを意識し過ぎて、結果自分らしさを見失いそうで、 まだまだ傍流を行きたくなる傾向にあるようでして。
どうやらこれは、劇団に参加する自分にも影響を及ぼしているようなのです。
だから…という訳ではないのでしょうが、むしろ単に「甘いものを食べた後はしょっぱいものが食べたくなる」という生理的現象(?)によるものなのでしょうか。

「シネコン上映の派手なアクションエンターテイメント」

の次は、

「単館上映の地味なヒューマンドラマ」

を求めたくなるのです。
そしてふと気付きました。これは傍流云々ではなく、ただ捻くれているだけなのだと。
ですが、それも“今の自分”として素直に受け止めていこうと思うのです。


変化をもたらしてくれた出会いたちに、そしてそこから今でもつながれていることに感謝をしながら。


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