シーン328:「しょうがない、ですね。」

お当番 : しんご


「自分を愛せない人は他人を愛せない。自分を愛せない人は他人から愛されない。」
なんて言葉を耳にすることがあります。
これに倣うならば、
「自分を赦せない人は他人を赦せない。自分を赦せない人は他人から赦されない。」
と言えはしないでしょうか。

前回当番のコラム(「シーン318」)で書きましたが、昔から劣等感を抱きやすい傾向にある私は、「ありのままの自分を受け止める」ということ学びながらも、自分に対して、自分がしてきたことに対して、やはり否定的になりやすく、「自分を受け容れる」ということに苦心する毎日です。「自分が赦せない」ということに度々苛まれます。
とすると、もし前述の言葉が成り立ってしまうなら、私は他者を赦せず、それどころか他者から赦されなくなってしまいます。寂しがり屋な身としては大問題です。
そんなことを感じて以降、他者を赦し他者に赦される人で在りたいと願うゆえ、苦手な「自分を赦す」ということと対峙するようになりました。

そんな私は、劇団シブパが旗揚げされて以来、幾度かの公演で演出をさせていただいているのですが、最近あることに気付きました。
それは、それらの公演において「自分を赦す」ということを主題に置いた芝居創が多いということ。一回一回を全力で余裕なく取り組んでいたからか、通して意識したことはなかったのですが、改めてふり返って見るとなんと多いことか。
もしかすると、本来の作品主題とは異なるのかもしれません。偏った作品解釈なのかもしれません。ですが、それらの作品において「自分を受け容れ、自分を赦す」ということが魅力的な主題であるように感じられて仕方ないのです。
そう感じさせる要因は、それこそが自分自身にとっての主題あるいは課題だからなのかもしれません。 (なんて公私混同なのでしょう…嗚呼。)

やはりこれも偏った解釈なのでしょうか。
エディット・ピアフの作品に『水に流して(邦題)』という楽曲があります。
私には、「過去を捨て、過去の自分と決別して、やり直していこう」という曲ではなく、「過去の自分を受け容れ、赦し、再び歩み始めよう」とする曲に聴こえてくるのです。
皆さんはどう聴こえるでしょう。


劇団シブパ第23回公演 『のこしもの』 にご来場いただき、 誠にありがとうございました。
私と同じように自分を赦すことが苦手な方に、少しでも寄り添える舞台であったなら、 こんなに嬉しいことはありません。


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